長崎原爆青年乙女の会会長を務めた小峰秀孝さんが、先月24日に83歳で亡くなられました。小峰さんの人生は、4歳のときに被爆した体験を基盤に、核兵器の非人道性を訴え続ける使命感に満ちたものでした。その壮絶な生涯と平和への願いを振り返りながら、葬儀が家族葬という形で執り行われたことが報告されたことに注目したいと思います。
家族葬という選択
小峰さんの葬儀は既に家族葬として行われたことが報告されています。家族葬は、故人を身近な家族や親しい人たちだけで静かに見送る形態の葬儀です。この選択は、小峰さんが過酷な人生を歩みながらも、一人の人間として家族を大切にし、最期は静かに旅立ちたいという思いを反映しているのかもしれません。
家族葬は近年、シンプルかつ心のこもった見送りが可能な形として選ばれることが増えています。小峰さんの場合も、その壮絶な人生を振り返る場を後日の「しのぶ会」に委ねることで、家族の温かい見守りの中で安らかに送り出されたことでしょう。
被爆者としての使命
小峰さんは、被爆の体験から平和の大切さを訴え続けました。4歳のとき、爆心地から約1.5キロの場所で被爆し、身体的にも心的にも深い傷を負いながらも、「戦争や原爆の恐ろしさを伝えることが役目」と信じて活動を続けました。
著書『じいちゃんその足どんげんしたと』には、被爆者としての壮絶な経験と、平和を願う強い思いが詰まっています。また、日本被団協の活動や長崎原爆青年乙女の会の会長として、多くの人々に平和へのメッセージを届けました。
平和への願いを受け継ぐために
小峰さんの人生を振り返ると、核兵器廃絶と平和の実現に向けた活動がどれほど重要であったかが分かります。彼の死は一つの時代の終わりを告げるものかもしれませんが、その思いは次の世代へと引き継がれるべきものです。
後日に予定されている「しのぶ会」は、彼の活動や思いを振り返り、平和への決意を新たにする貴重な場となるでしょう。小峰さんが生前、ノーベル平和賞受賞の報を耳にし、少しでもその成果を喜ばれていたことは、平和を求める活動の一つの到達点を示しているように思います。
静かに見送る大切さ
家族葬という形で小峰さんが旅立ったことは、彼の人生を支えた家族や近しい人々にとって、特別な時間を共有する場となったことでしょう。そして、その静かな見送りは、彼が大切にしていた「平和」や「尊厳」という価値観を象徴しているようにも感じられます。
小峰秀孝さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
その思いを受け継ぎ、核兵器のない平和な未来を実現するために、私たちも行動していきたいと改めて思います。